正常と異常

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手技の迷宮を抜けて――「ノーマル」と「アブノーマル」の原点へ

オステオパシーの世界を学び始めると、誰もが一度は「専門用語とテクニックの多重迷宮」に迷い込む。

HVLA、筋エネルギー技術(MET)、カウンターストレイン、筋膜リリース。さらには一次呼吸、フルクラム、静止点(Stillness)……。

次から次へと現れる洗練された手技の名前や、神秘的で主観的な概念の数々。

「この症状にはどのテクニックを使えばいいのか?」

「自分が感じているこの感覚は、本当に“静止点”なのか?」

学びを深めれば深めるほど手元の型は増えていき、それと引き換えに、治療の本質が見えなくなっていく感覚に囚われる。まるで膨大なレシピを暗記することに追われ、目の前にある食材の味すら忘れてしまった料理人のように。

しかし、オステオパシーの創始者アンドリュー・テイラー・スティルの足跡を辿り直すと、拍子抜けするほどシンプルな真実に突き当たる。スティル本人は、現代のような無数の「〇〇テクニック」など使っていなかった。彼が使っていた言葉は、どこまでもシンプルで客観的な二つの状態だけだった。

「ノーマル(正常)」と「アブノーマル(異常)」

スティルにとって、身体の不調とは「解剖学的に正常な位置や動きから外れ、アブノーマル(異常)になっている」という事実に過ぎなかった。では、「アブノーマル」とは何か。それは、身体の組織に特定の引きつりや捻れ、圧縮といった「ストレイン(負担・歪み)のパターン」が存在する状態である。ストレインパターンがある場所では組織の柔軟性が失われ、血液や神経の流れが滞る。

反対に「ノーマル」とは何か。それは、「ストレインのパターンが解除された状態」である。張力が全方向で均等(ニュートラル)に保たれ、本来の滑らかな可動性と循環を取り戻した状態を指す。

スティルが行っていた治療は、私たちが思うほど複雑なものではなかった。19世紀の彼は、現代のように「直接法」か「間接法」かという枠組みにすら縛られていなかった。

目の前にある組織の「テクスチャー(質感や硬さ)」を手で聴き取り、引きつっている「方向」を感じ取る。そして、組織が求めている力加減と方向へ手を同調させ、時には直接押し戻し、時には緩む方向へ逃がしながら、ストレインパターンを解いて「ノーマル」へ戻す。

「見つけて、治して、放っておけ(Find it, fix it, leave it alone)」

彼が遺したこの有名な言葉の通り、パターンを消して「ノーマル」に戻せば、あとは体の中に眠る自己治癒力が勝手に仕事を終わらせてくれるのだ。

それなら、なぜ現代の教育はこれほどまでにテクニックや理論を複雑にしてしまったのだろうか。理由は残酷なほど現実的だ。「天才の手感覚」を一般の学生に再現させるための教育的なマニュアル化(標準化)。

あるいは、弟子たちが自身の理論を確立し、流派を広めるために作られた新しい専門用語たち。教える側の都合と人間の「難解な理論をありがたがる心理」が重なり合い、枝葉ばかりが鬱蒼と茂ってしまったのだ。

しかし、臨床の臨床たる現場において、本当に必要な道具はそれほど多くない。複雑に絡まったテクニックの引き出しを一度そっと閉じてみる。主観的で捉えにくい概念のラベルを一度取り払ってみる。

目の前の患者の体に手を触れ、ただ問いかける。「ここにどんなストレインパターン(アブノーマル)があるか?」「どのテクスチャーと方向を合わせれば、パターンが消えてノーマルに戻るか?」答えはいつだって、無数のテキストの中ではなく、自分の手と患者の組織の接点にしかない。

枝葉の迷宮を削ぎ落とした先にある「ノーマルとアブノーマル」という究極のシンプルさ。それこそが、オステオパシーというアートの最も強固で美しき原点なのだ。

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